…親子程も年の離れた男女の言い争う声が何処からか聞こえた…
 …薄暗くて、姿ははっきりとは見えなかった…
 「朝歌を出て、西岐に向かうのじゃ、何れ迎えに行く」
 「知らない、出ていって、あなたには愛想が尽きました」
 「おぬしに惚れておったわけではない、ずっとほったらかしにしておって、いい思いをさせてやれなんだ償いをしたいのだ」
 「それなら別書を書いて、早く出ていって下さい」
 「分かった…だがこれを受け取ったら、すべて終わりだぞ」
 そう言って男は去って行った…
 男が見えなくなると、女は扉を閉め、そのままその場に頽れ…
 扉に凭れ…涙を零した…
 
 「…縋りたかった…本当は…さ…ま…」

 …暗闇の中…泣き伏す、その女の姿を…何故かよく知っている様に思った…
 
 〜覆水〜
 
 はじめて会った時は、変な人だと思っただけだった…
 その人は川で釣りをしていました…でもその人は折角魚が釣れても直ぐに逃がしていました…
 「ねぇ…お兄ちゃん、何してるの?」
 「見れば解るであろう、釣りじゃ」
 「えーでも釣りって魚を釣って、食べるためにするんでしょ、どうして逃がすの?」
 「おぬし…賢いのう…いくつだ…」
 「んーと…五才!…でもそれよりどうしてー」
 「わしは魚は食わぬからじゃ!」
 「好き嫌いはいけないって、大きくなれないって、母様が言ってたよー」
 「わしのは好き嫌いではないからのぅ…それにわしはこれ以上は大きくならぬのだよ」
 「…そうなの?」
 「うむ」
 その後、日が暮れるまでその人と楽しく話した。
 次の日、川に行ってみるとその人はいなかった…
 その後も会うことは無く、十年が過ぎた…
 変な人だと思いながらも、何故かその人が懐かしくて、何故か無性に会いたかった…
 だからお城であの人を見た時は驚いた…最初は他人の空似だと思った…何故ならその人は少しも年をとっていなかったから…
 それから何日かして、その人が不老不死の道士だと知った。
 思い切って話しかけてみたら、やっぱりあの人だった。
 そしてあの人も私を覚えていた、凄く嬉しくて、それからは毎日、少しの時間だけど、会って話しをした。
 
 ―この頃はまだ知らなかった…あの人が軍師様だと…
 
 その日もいつも通りあの人と会って話しをしていた。
 スパコーン!
 甲高い音がした…何故か周公旦様が其処にいて、あの人をハリセンで殴った。
 「こんな所で何をしているのですか!太公望!」
 「い…いきなり何をするのじゃ周公旦、仕事なら終わらせたぞ…」
 「今日はこれから臨時の会議があります、確か昼休み前にお伝えしておいた筈ですが」
 「…す…済まぬ…忘れておった…」
 「困りますね、太公望、軍師がそんな事では…」
 「わ、わかった…すぐ行くから、少しだけ…なっ…」
 あの人がチラリと私の方に視線をよこし…
 「…まあ…少しだけですよ…」
 周公旦様が嘆息して答えた…
 「…その…済まぬが、急に仕事が入ってしまった…また…後で…」
 あの人がそこまで言いかけた時…
 「太公望!早くなさい!」
 少し離れた所から、周公旦様に呼ばれ…
 「分かってるつーの…ではな、馬氏…」
 そう言うと、あの人は手を振って、行ってしまった…
 
 ―知ってしまった…あの人が軍師様だと…
 
 …暫くは…何も考えられなかった…
 
 あの人が…太公望様…軍師様だと知って…気付いてしまった…自分の気持ちに…
 ―諦めなければと思った…気付かなければと思った…
 
 …私はあの人に会いに行くのを止めた…
 
 それから数日後…周の国から仙道はいなくなった…
 最後の戦いに向かったのだと聞いた…
 
 ―伝えておけば良かった…
 そう思った…
 
 子供の頃から不思議な夢を何度も見ていた…あれはきっと…
 
 そして、最後の戦いが終わったのだろうと、言われ始めた頃…
 
 「久しいのぅ、馬氏」
 懐かしい声、振り向くと其処には、あの人がいた…
 「ど…どうして…」
 「約束だったからのぅ…」
 「では…仙人界に…帰られるのですか…」
 「いや、適当に人間界をぶらつくつもりじゃが…」
 どうかしたのかと問われ…
 「あなたが好きです!連れて行って下さい…」
 ―夢の中の女は私…縋りたかったと…泣いていたのは私…
 「わしは…わしは人間ではない…」
 ―夢の中…去って行った、男はあなた…
 「構いません…あなたが何者でも構いません…だから…」
 ―あの夢はただの夢ではないと…今なら解る…
 「本当に良いのか…」
 嘆息し…そして…
 「わしも…おぬしが好きじゃ…一緒に居てくれるか…」
 「はい…はい…」
 止めどなく流れる涙を優しく拭って…あの人が言った…
 「では…行こうかのぅ!」
 
 ―覆水盆に…
 …返ってきたのぅ…―

 伏羲は感慨深げに空を仰いだ…
                                                       ―終わり― 
 ―あとがき―何とか出来ました…リク内容は太公望(伏羲でも可)と馬氏のラブラブ・ほのぼのでした…