―琳姜登場―

 時々、太公望は朝議が終わると何処かに出かけてしまう。
 その日はいつもの道服ではなく、ごく普通の子供の服を着て、呂望として振る舞う。
 当然この事を知る者はいない、完全なお忍びだ。
 そのお忍びの理由は、仙人界でも限られた者しかその存在を知らない、太公望の双子の妹・呂琳姜が会いに来るからだ。
 この日の二人はごく普通の仲の良い兄妹としか見えない。
 それはほんの数ヶ月前……
 ―豊邑門前―
 「あそこに兄様がいるのね、白鶴?」
 長い髪の太公望にそっくりな顔の少女が豊邑の街を見ながら白鶴童子に聞いた。
 「そうです琳姜公主 、私は師叔を呼んで来ますのでそれまでここで待っていて下さい」
 そう呂琳に言うと白鶴は西岐城へと飛んでいった。
 ―西岐城内―
 「うむ、では武吉これを武王の所に……」
 太公望がそう言って武吉に書簡を渡そうとした時だった。
 「師叔、太公望師叔……」
 白鶴が飛んできた。
 「白鶴ではないか、どうしたのだ」
 「実は師叔……」
 白鶴は四不象と武吉を気にして言い淀む。
 それを見て太公望は四不象と武吉を武王の所に行かせる。
 誰もいないのを確認すると太公望は白鶴に続きを促した。
 「はい、実は今日は琳姜様のお供で参りました」
 その言葉に太公望は僅かだが顔色を変える。
 「あやつが来ておるのか!?」
 言外に何故と問う。
 「なんでも原始天尊様のご命令で用件は直接、師叔にと……」
 「……そうか、では向かおうか白鶴……」
 ―豊邑門前―
 「望兄様、いえ、太公望師叔お久しぶりです、お届け物に参りました」
 呂琳姜は太公望の姿を見つけると嬉しそうに駆け寄ろうとしたが、白鶴がいたのを思い出し、礼を尽くし、小さな箱を渡す。
 「琳、久しぶりだのう、髪を伸ばしたのだな……」
 「いまはこの方が都合がよいので……」
 「所で琳よあそこにある黄巾力士、あれはどうしたのだ……」
 少し離れた所にある黄巾力士を太公望は指さして問う。
 その黄巾力士は塗装等がなされていなかった。
 「あれは太乙真人様が師叔専用にと造られたのですが、それをテストを兼ねて使わせて頂いているんです」
 「そうか、分かった、ご苦労であったな……」
 「それでは、失礼します……」
 「…うむ…」
 琳姜は何かを言おうとして、暫し躊躇し、しかしすぐに意を決して太公望に近づくと白鶴に聞こえないように耳打ちする。
 「今度お兄様に会いに来てもよろしいですか?」
 その言葉に太公望は苦笑を漏らしながらも、小さく頷いた……
 以来呂琳姜は人間界に降りている時に、合間を見ては呂望に会うようになった。
 それは、もともと琳姜が原始天尊の命で人間界に来ることが多かったからでもあった。
 
 「今日はお兄様のお好きな仙桃と、それから普賢真人様から手紙をお預かりしてきました」
 「うむ、いつも済まぬな、琳よ今日はどこに行きたい?」
 「…あの…ほ…いえ、何処でも…」
 「では、今日は豊邑の抜き打ち視察にでも付き合って貰うかのう」
 歯切れの悪い琳に太公望は苦笑して言った。
 「えっ、でも…」
 「おぬしは化粧をしておるし、わしはお忍び用に変装しておる、あとは言動を改めれば…ごく普通の人間の子供…仲の良い兄妹にしか見えぬよ…例え相手が仙道であろうとな、わしは騙し仰せる自信があるぞ!」
 胸を張る兄に琳姜はにこやかに微笑んで、小さく呟いた…
 ―有り難う御座います―と…         
                                             ―つづく―