「……もう…『あの子』はいないんです…どこにも…死んでしまったので…」
 
 ―『死んでしまった』…
 …そう紳士が云った『あの子』と言うのは…きっと彼にとってとても大切な相手だったのだろう…とそうアレンが思っていると…

 「……『あの子』は…一人で何かを悩んでいました…我輩は…その時暫くそっとしておこうと思いました…きっと『いつか話してくれる』そう思って…」
 紳士は切なげな面持ちで唐突にそう言うと…
 「…あなたも…何かを悩んでいるようでした…そしてその様子もまた…『あの子』に似ていた…だからでしょうか…?…思わずあなたを呼び止めてしまったのです…」
 彼は溜め息を吐いてそう告げると…
 「…あなたには…迷惑でしょうね…死者と似ているなどと…済みません…」
 寂しげに微笑んで彼はそう詫びた。
 
 
 
―羊が抱えるパラドックス―
              ―9―
 


 「……大切だったんですね…その人が…とても…」
 「…………はい…とても…」
 呟いた僕に紳士はそう頷いた。
 …その様子から…『彼』がまだその相手を『大切』に想っているんだろうことが分かった。
 哀しげなその人の言葉に僕もまたどんどん哀しくなった。何故かは解らないけれど…

 ―解らないけれど…そう思いながらも僕は…
 …僕と…同じだ…
 そう思った。
 …僕も『大切な人(マナ)』を亡くしたからと…この人も同じなんだと…
 …だから哀しくなるんだと… 
 そう僕は勝手にその感情(きもち)を解釈した。

                                       ―続く―